愛知県肢体不自由児協会 会長 𠮷橋 裕治
当協会は、肢体不自由のあるお子さんの福祉の増進を図ることを目的として、1957年4月に設立されました。当初、県庁内(愛知県民生部)に事務局を開設したこともあり、その後41年間にわたり県知事が会長職を兼務されました。その後、2年間の不在期間をへて、2000年に事務局を現在の愛知県青い鳥医療療育センターに移管するとともに、民間人が会長を務めることとなりました。私は2019年にその3代目の会長を拝命し、現在に至っています。
協会の名称にもなっている「肢体不自由」という言葉は、手足や体を自分で動かすことが不自由な状態が続くこと、言い換えれば「運動機能障がい」を意味します。大正13年から25年余り東京大学医学部整形外科学教授を務められ、その後、社会福祉法人日本肢体不自由児協会の初代会長になられた高木憲次氏が、昭和初期に造られた言葉で、戦後は法律にも使われています。ちなみに「療育」も高木氏による造語とされています。
肢体不自由児に対する療育の下支えが当協会の役割であり、肢体不自由児療育事業の推進や療育思想の普及は、協会の規約に記された主要な事業となっています。今日、「療育」の意味は多様化していますが、肢体不自由のあるお子さんに対して考えられた当初の定義は、「現代の科学を総動員して肢体の不自由を出来るだけ克服し、それによって恢復したる恢復能力と、残存する能力と、代償能力の総和(これを復活能力と呼称したい)であるところの復活能力を出来るだけ有効に活用させ、以て自活の途の立つように育成すること」とされています。具体的には、医療、保育、教育、生活指導、さらには職能訓練を、それぞれのお子さんに合わせて包括的に提供して育成支援をするという、広い意味での「小児リハビリテーション」と言えます。もともとは肢体不自由児施設(現在の医療型障害児入所施設)に入所したお子さんを対象とした事業でしたが、1979年の義務教育の完全義務化や、その後のノーマライゼーションの普及により、療育の地域化、在宅化が進められ、その対象も拡大してきたのです。
当協会は、肢体不自由のあるお子さんとそのご家族が、それぞれの地域で安心して生活でき、充実した療育を受けられることを願って、さまざまな事業を行ってきました。これらの事業は、毎年秋に日本肢体不自由児協会と共催する形で行っております「手足の不自由な子どもを育てる運動」で皆様からいただいた寄付金を財源としています。しかし近年、この寄付金が漸減してきており、これまでどおりの事業を続けることが困難となってきました。今後も肢体不自由のあるお子さんとそのご家族の福祉の向上に微力ながら寄与したいと考えておりますので、一層のご支援、ご協力をいただきますよう、お願い申し上げる次第です。
最後に、東京板橋区小茂根にある(国立)心身障害児総合医療療育センター内に今もたたずむ「療育の碑」に刻まれた療育の理念(高木憲次氏による)を示します。
「たとえ肢体に不自由なところあるも、次の社会を担って我邦の将来を決しなければならない児童達に、くもりのない魂と希望をもたせ、その天稟をのばさせなければならない。それには児童を一人格として尊重しながら、先ず不自由な個処の克服につとめ、その個性と能力とに応じて育成し、以って彼等が将来自主的に社会の一員としての責任を果たすことが出来るように、吾人は全力を傾盡しなければならない。」